初めてのファイティングポーズ

ジムで指導するにあたって、決めてやっている
ことがあります。
大したことではありません。

昨日、体験の5歳の子にファイティングポーズを
構えさせて撮影しました。
それを夜、ご両親にメールで送りました。
大したことではありません。
些細なこちら側の押し付けだということは存じて
います。

ただ、それは間違いなく思い出になると思います。
なのでやめません。
キックボクシングなんてやらなくたって、そういう
ことをしたという思い出になればそれでいいでは
ないですか。
もし、やったとしたら、始めは恥ずかしくても、でも、
いずれそれが思い出になればいいと思うのです。
目つきも面構えも変わります。

幾度目になるでしょう。
5年生のひびきも撮りました。
そして、終えた後に彼のお母さんに送りました。
見比べるだけでも成長が分かります。
顔つき身体つき、段段変わっていきます。

夏休みはじめ、みんなで幕張駅までの8kmを走りました。
電車や車でしか足を運んだことのないその場所に、
自分の足で辿り着くという達成感、そして自信が
着いた瞬間のその表情を間近で見ていて感じます。
子供らは気付いていませんが。

たかが写真1枚のことですが、でも、それがうちのジムの
持ち味だなんていうつもりもさらさらありません。
大人も、毎回ではありませんがミット打ちなどを撮ったりして
それを送ります。
小さなジムだから出来る持ち味と思っています。

「人生をかけるだけの価値がある」
子供に海外で試合をさせるジム会長が偉そうに記している
のを見かけたことがあります。
そういうことを云う奴に限って、手前は最終学歴まで
のうのうと出てにげばを作って逃げ場を用意している
のです。
その癖、人様の子供で人生を博打させて間接的に
夢を叶えようとするのです。
野球やサッカーなどのように賭ける夢の大きさが
まるで違います。
なので、そこまで大人が肩入れしてもある日割が合わない
ことに気が付くのです。
その辺の損得勘定は子供にだって出来るからです。
だから続かないのです。

駄目だという訳ではありません。
それでもこの世界で自分は、そういう覚悟と自主性が
必要だと思います。

だから、簡単に夢を見せないで、
「もし、他にやりたいことが見つかったらそっちを
やりな」
そう云うようにしています。



夏の終わりかけ、もしくは9月に入ってから、どこかの
日曜日にみんなで走ろうと思います。
その後、新入会員らの歓迎会を兼ねた食事会を行おうと
思います。
走らないで、食事会に直行でも構わないのです。
楽しいでしょうね。