郵便

昨日、夕方にジムに行き、郵便が届いていることを
確認しました。

水野先生からでした。
イラストレーターの田中誠一さんからの紹介で、知り合ったのは
1993年になります。

「僕のところ(高校)だったら留年なんてさせないで
卒業させてあげたのに。」

経歴の話になり、ようやく卒業できそうだという話だったと
思います。
先生は、そういってくれました。

「名古屋まで通えませんよ」

そういって笑いました。
月に幾度か必ず上京しては、ボクシングの試合を撮りにくる
のです。
それ以外は選手の所に顔を出して回るのです。
ボクシングやボクサーが好きなのですね。
キックボクシングでは知らない方も多いでしょうが、
ボクシング会場は顔パスです。
ガッツ石松氏とか、その辺よりも前の時代から足を運んでいると
聞いたことがあります。

「浜田くん」
控室通路で先生は普通に浜田剛史氏を呼び止めて、
「ほら、」
隣に立つよう促し、一緒に写真に収まったこともあります。
頑張ってきてよかったなと思えた瞬間の1つです。

そのうち、僕の試合にも着てくれるようになりました。
そして、同じようにキックボクサーの試合の写真を撮って、
それを新人から現像して送るのです。
プロではありません。
高校教師の趣味です。
なので、上手に撮れている写真は少ないです。

僕が日本でデビューした88年は、カメラマンなどいなく、
着ていたとしても自分の試合の写真を撮ってもらえることなど
本当に珍しく、ありがたいものでした。
カメラマンの堀田春樹さんはデビュー当時からたまたま撮って
くれていて、それをもらってとても嬉しかったことを覚えて
います。
早田寛くんにも、彼が高校生の頃からよく撮ってもらいました。

もし、上手に撮れていなくたって、自分の試合の写真はもらえたら
ありがたいものです。
自分では撮ることは出来ないのですから。
でも、いつの時代も感謝を出来ない選手がいるのも事実です。

持て囃せとは思いませんが、折角気持ちを込めて向こうから
近づいてきてくれているのに、礼も云えなかったり素っ気なくする
選手もいます。
「何様だ」とはいいませんが、何様のつもりなのでしょうね。

本業が坊さんの先生は、大分前に教師を定年退職されて、でも、

朗報です。
「おおいた」そう読まれた方に減量中の渇きを差し上げます。
戻ります。

変わらず足を運んでくれていました。
まめな人です。
先日、第一弾が届きました。
なんとなく、理解しました。
達筆過ぎて読めない手紙もいつも添えてあります。
なんとなく読むのに大分時間を要します。

ええ、「おおいた」時間を要するのです。

綾瀬にあった頃のJBスポーツでの練習風景や、計量や試合の
写真、控室の写真など、もう25年以上前の写真です。

昨夜、電話しました。
「はいはいはいはい。うんうんうんうん。」
相変わらずの口調です。
礼を云うと、寂しいことも時折いうのですが、「80歳だから」
そういうのです。

いつ何があるか分からないのは人間誰も同じです。
コロナで大変な世の中になり、籠りきりで写真の整理を
しているといいます。
でも、それが逆にいいのではないかと告げました。
人間は気持ちで生きているということも添えて。
面倒臭い作業かもしれませんが、頭だけでなくその時の気持ちを
思い出すことはとても大事に思うのです。

勿論、身体を使って生きているから身体も大事です。
ですが、僕らは気持ちで生きています。
やめた途端に急に身体がおかしくなる人を何人も見ました。
精神的なものが引き金と解釈しています。

髪の毛を赤く染めてシリモンコン戦を観に行った客席の写真も
入っていて、丈さんの話になりました。
「彼もまだ頑張ってるよ」

人間は気持ちで生きています。
つくづくそう思います。

気持ちが壊れると、身体も簡単に壊れます。
どちらが、ではなく、ドローなのです。
ええ、どちらもです。


「夏、行けたらそっちに行きますね」

散散会いに来てもらったから、こちらから出向くのも筋だと
思います。
今は、コロナでこんな世の中だから他県に出向くことが咎めない
ようであれば、そう前置きをして話しました。
長年応援してもらったのです。
それぐらいは当たり前だと思うのです。
ええ、勿論走って。

いい喫茶店も知っています。
そこで顔出せるファンがいるのなら、一緒にコーヒーでも
飲みたいなと思います。