尻取り日記「い」井田耕治

重複していたら、ご存知の方がいたら、知らない方に向けても
記していることでご容赦ください。

我がジムの一番遠い会員は銚子に住む高根さんです。
その後、一度は妙高に越した中島さんがその記録を
塗り替えたのですが、でも、彼が塗り替えました。
仙台在住の井田耕治、彼です。

22年前に戻ります。
20代前半から酷いものでした。
試合しても試合しても約束のファイトマネーを支払わない
のです。
その癖、試合は組むのです。

具合が悪くてキャンセルしたらごねたと決めつけて、
逃げたかのように扱うのです。
糞みたいな時代でした。
何人か、本当にごく僅か、味方ではないにしろ敵ではない
関係者もいましたが、ほぼ敵でした。

ファンクラブ結成なんて駄目だといいます。
練習場所も取り上げられて、金は寄越さない。
でも、試合は組まれる。
そんな時代でした。
それを棚にあげて、他所の競技に売られそうになったり、
断ったら干されそうになったり、のうのうとこの世界で
生きているところが滑稽です。

無理やり結成することにしました。

試合は散散でした。
でも、やることにしました。
やるなら利益は全部寄越せというので、毎回、100名以上
集まってくれた打ち上げの利益、僕には一円も入りません。
その日の打ち上げでファンクラブを結成しました。

幾度か記した通り、月に一度集まってみんなで遊ぶ、
それだけです。
「ペイン」
そう名づけました。
苦しい立場でしたが、そんな皮肉った名前をつけて集まって
騒ぐことが息抜きでした。

その中に仙台在住の方がいました。
それが彼です。
ペインでは月に一度、みんなで会って何かしらの遊びを
します。
絵画を観に行ったり、動物園に行ったり、目ぼしい店を探して
そこで飯を食ったり。

色んなことをやりました。
ディズニーランドに足を運んだ時もあるのですが、乗り物が
というりよも、並ぶのが嫌な僕はずっと、中央で夕方まで
コーヒーを飲んでいたことがあります。
思い出しては集まってくれる会員らと雑談したりして。
ジムを解放してやる側を経験して楽しんでもらったり。
府中に住む上野さんはそれでスィッチが入り、毎週末通うように
なりました。
他にも近くに幾らでもあるのに嬉しい限りです
このジムには遠くから通う会員が何名かいます。

冒頭で記した高根さんもそうです。
彼はオープン初日に入会してくれた第一号の会員でもあります。
幾度か船橋から銚子まで走って会いに行ったことがあります。
初めては息子が中学2年生の夏休みでした。
その時の事などはnoteに貼りつけてあるので興味のある方は
見てください。
無料のマガジンです。

その翌年は館山が目標だったので、息子とは館山まで
はしり、
銚子は僕1人で向かいました。
更にその翌年からは富士山を目指すことになったので、
銚子や他までは、しばらく走っていません。

話を戻します。

震災の後、幾度かボランティアに足を運びました。
浦安にも足を運びました。
ならば、東北はもっとだろうと思い、足を運びました。
無神経に照らす太陽が、壮絶な景色を照らしていました。
その日、どぶさらいや雑用をしました。
でも、自分には自分にしか出来ない何かがあるような
気がしました。
井田さんは、顔を出してくれました。
どぶ臭い僕を、嫌な顔せず通してくれた店にも感謝します。

彼と一緒に昼飯を食い、また泥だらけになり、そのまま
船橋に戻りました。
それから、今度はミットを持って現地の大人や子供の
キックボクシング体験会を催すことになりました。
井田さんの協力によって、幾度か足を運びました。

宮城県のボランティア体験会の模様はYouTubeに公開して、
このHPにも貼っています。

井田さんはたまに顔出してくれます。

「一から教えてくれませんか?」
ある時、彼がそういって着ました。
そんな訳で月一会員というのを設けた次第です。

月一で年に一度20000円という設定です。

上野さんのようにアマチュアで試して内側の景色が見たく
なるのか、指導の側からの視点を勉強しにくるのか、
そんなものは誰しも本人の自由なので、こちらから何かを
いうようなことはありません。

体重の落とし方や、食べ物の話はそうでない目標だろうと
会員と話します。
なんなら営業に着てくれた方とも話します。
僕個人が卑しい人間なのですいません。

仙台から船橋まで月一会員として練習に来る男、井田耕治の
はなしでした。