11月25日

25日に綴ったそれを下書きで見つけました。
ので、そのまま更新します。
その後に追記します。



昨日、記念日でもなんでもなく、外食するつもりでいました。

だから、お祝いなどではなく、ただ、腹一杯何でもいいから
食べたいと思っていました。

ただの偶然ですが、阿部健一が選手を連れて出稽古に
着ました。
1988年、16歳と19歳の頃に僕らは知り合いました。
1988年4月、日本でデビューしました。
今と同じフェザー級でデビューしましたが対格差を自分で
考慮して、その後2戦バンタム級で試合しました。
試合感覚も出来てきて、そろそろバンタム級も限界かなと
思っていた矢先、会長は更に2階級下のフライ級で試合を
組みました。

 

自伝やブログに幾度も記した通りです。

 

なんて自分は不運なのだろう。
そう思っていました。

名良橋が初めて応援に着たその試合、彼の眼には哀れな
自分が見えていたのだろうなと思うと、余計に惨めに
思えました。


それから長いことジムには行きませんでした。


中学を卒業してタイに渡り、翌年定時制に再受験したものの、
担任の勧めで1ヶ月半で退学し、その翌春、高校再再受験して、
2年遅れの17歳で高校生になるつもりでした。

受験を終えて、合格して普通の高校生になるつもりでした。
でも、荷物を取りに行くと、次の試合が決まっていました。

その少し前に僕が自分に対し憐れんでいた頃、衝撃的な出来事が
あったことを知ります。
ひどく落ち込みました。
結局、試合をすることになり、そのまま続けてしまいました。

それ以来、ずっと減量が苦痛でした。
体重が落ちてくれないのです。
今は市販すらされていない下剤はいつもだったし、血を抜いた
こともあります。
論点すり替えて批判されたことは数え切れません。
僕のような人間は階級を上げたら寿命は短かくなると
思います。
理由は全て記せませんが、間違いありません。

僕がまだ辛うじて現役を名乗れるのは、この時からの減量に
対する工夫があったからだと思っています。
減量が辛いから階級を上げるのではなく、落とし方や維持の
仕方を工夫してきたからだと思います。

そういうことも含めると、これまでに落とした体重の総重量は、
1屯を優に越えています。


頑張れるだけ、僕は幸せなのです。

 

 

28日日曜日は新宿の住友ビル三角広場で行われたゴールドジムの骨髄バンク
のチャリティーイベント内のスクール発表会に出席しました。
月曜日火曜日と通常通り行い、今日は通常通り定休日で、僕はゴールドジム本八幡店で
スクール指導でした。
昼間はゆっくりできるのですが、出かけることもなく、走ったりしています。


明日は18時半から始まります。
その時間帯以降は、ほぼ間違いなく毎日ジムにいますが、御用の方はお電話
いただけたらと思います。
営業時間外でもiPhoneに転送しているので繋がります。
LINE公式アカウントからでも構いません。
「無料体験」をタップしていただければ手動に切り替えてこちらから
返信します。