残念

こんなことをジムのブログに記すのはどうかと思いますが、
風評被害を被ったら嫌なので記します。

そもそも、今の世の中もそうなのですが、昔から
相手を見て喧嘩を売るのは卑怯だと思っています。
例えば店で、相手を見てクレームが通りそうだからと
無理を承知で店員を困らせているのを見るとうんざり
します。
SNSでの暴言も。

大昔のこと等、今更掘り下げる必要もないと思います。
今と昔、状況も全然違います。
大昔も自分は正しいと思っていて、1mmも間違えて
いないと思っています。
自分は辛うじて現役なので、自分自身はこのままでよいと
思っています。
勿論、変える気はありません。



20代前半から半ばにかけて、他競技の選手とひと悶着
ありました。
選手「それがし」が、紙面を通じて僕に喧嘩を売ってきま
した。



少し前の話になります。
Twitterでエゴサーチしました。

その程度のことは、誰でもすると思います。
ネットで自分を検索するようなものだと思います。
ありがたいことが記されていることもあります。
著書を読んでくれていたり、物販の購入者や、僕に纏わる
過去のちょっとした思い出話などを見ると嬉しくなるし、
頑張ろうと思うではないですか。

勿論、心ないことを目にすることもあります。
仕方ありません。
それは更新する側の自由です。

見なければいい、記す側は簡単にいうのですが、
それは悪口を記す側のいい分です。
見るのも自由です。
勿論、心無い書き込みで不快な思いをすることもあります。

当然、残念な想いをする覚悟で開きます。

見つけた意図的な悪口に対してはブロックします。
以前から、そのような方らとやりとりはしていませんが、
何人かブロックしています。
それは、こちらの呟きを見て、そのことについて文句を
いう時間がその方にとって無駄だと思うこちらの好意と
お考えください。

悪口を記す自由があるのなら、その悪口を見たくないのも
自由だから仕方ありません。
それについて、そういう輩は何某かの反論するでしょうが、
なら、そちらがこちらのtweetを見なければいいのです。


先日、シュートボクシングのある選手だか元選手
だかの「それ」が、過去の僕の発言に対し、論点すり替えて
非難していました。
誰がしかのtweetで不愉快な思いをしても、それに対して
反論することはないのですが、でも、違う競技とはいえ
見下されたように呼び捨てにされる覚えはないので、
返しました。
そもそもその発言に至るまでの事情すら、「それ」は知らないで
履き違えて引用しているようです。

そういう輩には、残念ながらそういうことが通用しない
のです。
自分がした反省すべきことよりも、エゴサーチしてその
tweetを見つけたということに話をすり替えて、「それ」は
仲間らと僕に非難し返すのです。
喧嘩腰な残念な輩は、話をすり替えて逆ギレします。
理解出来ませんが、現実です。




冒頭の件の続き、1990年代半ばに遡ります。


キックボクシングで自分を世間に認めてもらいたくて、
中学生の頃から頑張ってきました。
キックボクシングという競技すらマスコミに扱ってもらえない
時代でしたから、とにかく考えました。
勿論、練習や試合も、そしてそれ以外についても。

その辺についてはこれまで幾度も記している通りです。
人と同じ人生では面白がってもらえないと思い、
中学卒業後、タイへ渡ります。
それから数年後、勿論、自分だけが切っ掛けになったとは
思っていませんが、自分の存在を面白がってもらい始め、
キックボクシングがテレビや専門誌、一般紙で大きく
扱われるようになりました。

その頃、シュートボクシングの選手「それがし」が僕の
名前を出して喧嘩を売ってきました。
僕はそれに応じませんでした。
相手にする必要がないからです。
路上で眼が合っただけで胸倉掴まれる、そんな時代後期です。

「勝負しろ。」
そういわれて何故、勝負しなければならないのですか?
違う競技なのに。

裏で云わされていることはすぐに分かるし、相手に
しなくてはならない理由が見つからないからです。
僕はキックボクシングで有名になる為に工夫をし、
努力してきました。
ならば、「それがし」はシュートボクシングで名を馳せられる
よう、頑張ればいいのです。
努力を怠って楽していないで、自分で考えて試行錯誤すれば
いいのです。
要領よくやろうというのが見え見えです。


「同じ格闘技だから。」


でも、2割程度のライターは口を揃えます。
そういう物書きには残念ながら説明しても通じません。
一般紙は当然、専門誌でも8割には通じます。

ラーメン屋に入ってパスタ頼んでも出てきませんよね?
「同じ麺類じゃないか。」
そうやってクレームつけるのと同様と思うのです。



時をまた、数年遡ります。
僕が中学生の頃、シュートボクシングは発足したと
思います。
後に僕らの頂点、本場タイの元チャンピオンと試合して
その代表は見事に勝つのです。
見ていないので何ともいえませんが、話は耳に入って
きます。

当時、チャンピオンだった竹山晴友に挑戦状も出します。
その情報は、紙面だけだったので真偽は知りません。
実現には至りませんでした。

竹山さんは極真空手の実績者で、でも、転向して3回戦から
勝ち上がり登り詰めました。
「キックボクシングは初心者だから。」
中学生の頃、その筋を通す考えを持つ竹山さんに憧れました。


日本でデビューして少しして、ジムにシュートボクシングの
選手が練習に着ます。
彼のことは勿論、知っていましたが、話すことをしません
でした。
キックボクシングを利用しようとする団体と個人を一括りに
していたところもあります。

その彼が、阿部健一です。
以来、本音で話し合い、仲良くなります。

大村勝巳、大江慎、勝山恭二、彼らとも話し、
仲よくなります。
競技も団体にも個人にも他意はありません。
でも、区別はします。
一緒には出来ません。

今、大村さんは新小岩のジムで指導しています。
スカイツリーまで走る際、ジムの前を通る時に
よく遭遇します。
簡単な挨拶をして、スカイツリーに向かいます。

彼らは敵ではなく、同士のような感覚でした。
阿部健一は「あべけんさん」そういって兄貴のように
慕いました。
大江さんにもあべけんさんのセコンドにも幾度もつき
ました。

時を経て、僕がキックボクシングで中心になった頃に、
後からきた前述した「それがし」が噛みついてきました。
デビューも全然遅い下っ端の癖に、他競技の僕を呼び捨てにして。

先輩とか後輩とかないのなら、順序とか常識とかルールが
分からないのなら路上で喧嘩すればいいのです。

刑務所でもどこでも入ればいいのです。
出てこないで欲しいものです。

昔から、目が合ったら喧嘩をしなくてはいけないみたいなのが
嫌で仕方ありませんでした。
喧嘩を売られて、買わなければ逃げたとされるその風習の
意味が分かりません。


「同じ格闘技だから。」

そう返すライターたちに、

「なんで、ラグビーとサッカーは試合しないんですか?」

それで分かってくれる人もいれば、食いつく人もいます。

「それは極端だ。」
納得してくれる人もいれば、そう返す人もいます。
極端の意味が僕には分かりません。
ルールが違うという時点で、違う競技という時点で
納得してはくれないのです。

「なら、なんでアメフトとラグビーはやらないのですか?」

もう、答えなど出ているのです。
NHKや一部格闘技など拘わらなくても問題ない記者や、
他の媒体の方らは即時理解してくれるのに、
一部を除く格闘技ライターは退かないのです。
僕のいい分、理解してくれる格闘技ライターも勿論、いました。
だから、その方ら以外のものは心を閉ざすよう努め
ました。
今思えば、ライターも編集長や上から命令で云わされていた
のかもしれませんが。

同じ格闘技だからと一括りにするのなら、大相撲の横綱と
ボクシングのヘビー級チャンピオンがやるのなら少しは
理解しようとします。
やりませんよね?
競技が違うからです。

「井上尚弥なら簡単に蹴り倒せる。」
どうか、ほざいてみてください。
日本中敵に回してどこかへ消えてください。
やる必要などないのです。

アマレスと柔道もやりませんよね。
違う競技だからです。

同じ陸上で短距離の金メダリスト同士が間の距離で
競い合いませんよね?
ハンマー投げとやり投げ、どちらが凄いかなんんて
競い合いませんよね?


当時も今も関係ありません。
シュートボクシングに限らず、どんな競技でもいいです。
何故、軽量級の選手らは井上尚弥に噛みつかないのですか?
そもそもボクシングに噛みつかないのは何故ですか?
相手にすらされないことを分かっているからです。

体重が重いなら、マイク・タイソンでもタイソン・フューリーに
でも、大相撲の横綱にでも喧嘩売ってください。
間違いなく声すら届きません。

下記、当時の僕のいい分です。
「野茂の球なんて簡単に打てる。そういう奴に野茂は
投げなくてはいけないのですか?まず、メジャーリーガーに
なってレギュラーになって、対戦することが出来たら
出来るんじゃないですか?その時にどちらかが怪我を
していたら対戦できないし、先発ではないかもしれない。
まず、打席に立つためのことをやらなくてはいけない。
順番飛ばすのは違うのではないですか?その前に野球選手でも
ないのなら、まず野球選手にならなければならないのでは
ないですか?」

そんなやり取りばかりしていました。

冒頭の「それ」のTwitterでの僕に向けての暴言は、一方的に
僕に噛みついてきたその時の「それがし」に返す為にいった
競技の違いに対して返したコメントの一部を引用したものです。
その競技に他意はありません。

当時、「それがし」が、ことあるごとに食いついてくるので、
それを記事にするのもどうかと思いますが、それについて
返したものです。
競技も違えばルールも違うのです。

それを履き違えて引用し、ましてや呼び捨てで反論しているので
後輩高に呼び捨てにされる筋合いもないので返した次第です。


前述した初期の選手らや、その後の宍戸選手などはとても
好意的に接してくれます。
彼らの爪の垢を煎じて飲んで欲しいと思います。
なので、彼らを「それがし」とは一緒の括りにはしていません。
他の選手ですら敵ではありません。
声をかけられれば会話してきました。

でも、先日の「輩」のような「それ」や、「それがし」と
同じ括りは残念に思います。