いじめとか、ブームとか

虐めなんて子供だけではないでしょう。
当然、大人にもあります。
それには幾つか種類があって、年年原因が増えているような
気がします。

ネットなどで普段云いたいことも云えない、何か云われても
云い返せないような人間が、そうでない人間だとしても、それで誰かを
叩いていい気になりたいだけの人が礫するという手法の、今時の
それは大勢での虐めのように思えます。

破片のような言葉の欠片でさえ、不用意に裸足の心で踏んだら
斬れるだろうし、後ろから投げつけられたら怪我します。
中学生の時に野球部の打ったライナーが後頭部に直撃して右目が
見えなくなったことがあります。
見えないところからの何某かの力は効くというところだけしか
共通していませんが、衝撃さ加減は同様かと思います。
「痛がってるんじゃねぇ」
それと周りの冷たさも。

とりあえず、そのことについて議論の参加賞を求めるブームが
連日繰り広げられています。
攻撃した投稿者を叩いたり、次にマスコミを叩いたり、更に話テレビ局を
叩いたり、旬な何かを探して寄ってたかって叩くというブームの繰り返しで
世の中回っているように思います。

攻撃した側を擁護なんてしませんが、ブームに乗りたくない側では
あります。

前述のそれを「正義の味方ブーム」、いつもそう呼んでいます。
少しでもそれに加わらないよう気を付けています。

真剣に考えることはいいと思いますが、多数側に加勢して、誰かを
叩くということは、その時点で加害者になっているように見えます。
どうせまた、賞味期限が過ぎたらまた新しい何かを探して礫するのです。
気持ちいいでしょうね。
なんたって、正義の味方ブームですから。
でもそれは、正義をかざした虐めと思います。
虐められる加害者を許してよいという訳ではありません。

記憶に新しい、賞味期限切れで話題にもならなくなった
アメフトに対して元元関心すらなかった人間は一斉に叩いて
いましたが、鮮度が落ちて棚卸してしまえば、もう話題にすらしません。
あれだけ叩いていた方方、どこに行ったのでしょうか。
今騒いでいる方方かもしれません。

あれから、競技として大学内の部活として、何かしらの改善をしたのかも
しれないし、していていないのかもしれません。
でも、そこは話題にすらしないのです。
関心がないからです。

十数年前、神戸の小学校で無差別殺害事件がありました。
息子がまだ3歳にもなっていない頃です。
「二度とこのようなことがあってはならない」
親として怖かったですし、そう願いました。
当時、話題になり、「さすまた」なる武器というか防具というか、
そのような用具が頻繫に報道されました。

見たことはあります。
その後、息子が小学校に入学して職員室に置いてあるのを
目にしたからです。
でも、きっとどこもそれだけのような気がします。

備えるのはいいことだと思います。
でも、ブームに乗って事終える感、否めないと思います。

いいも悪いもブームです。

大事なのは、自分がそんなブームで被害者にならないためにどうする
かということだと思います。

人間はストレスで簡単に人を傷つけるし、自分を壊します。
なので、枕でも布団でも殴って蹴ってください。
飯が少しでも旨くなれば嬉しく思います。

僕は、3杯目のコーヒーを淹れるとします。