クレイジー・ジャーニー

下記、noteの記述です。

1月中頃だったでしょうか。

99戦目の試合前からの密着取材を放送して
いただきました。
放送終了後の2月、次戦のオファーが着ました。
どうしようか考えました。
名前が嫌だったのです。
本名であれば仕方ないのでしょうが、微妙に字を替えて
などのそれだったら嫌だったからです。

本名ならそれはそれでいいのです。
せっかくの100戦目なのに、相手の名前で茶化されたり
するのが嫌だったのです。
なので、嫌だなと思うことに変わりません。

1994年秋、当時取材を受けていた日本テレビの
方にお願いして「ガキの使いやあらへんで」の収録の
観覧をお願いして足を運びました。

初めて見る生のお2人の作る空気に、存在感に圧倒されて
面白いトークに素直に笑えない自分がいました。
終えたあと、楽屋に通してもらい話をさせてもらいました。
折れて前歯がないのでちゃんと喋れない自分が恥ずかしかった
ことだけ覚えています。

少し時を経て、年明けの1月7日にNKホールでチャモアペットと
試合が決まりました。
その試合に松本さんが着るということを関係者から耳にしました。
惨敗でしたが一歩前に進んだ気がしました。
取材に着てくれるマスコミの数も、お客さんも増えて、それが
モチベーションでした。

前年の不足分を4分の1程度しか貰えなかったとしても。

翌3月のエビアップ戦も観戦に着てくれました。
その後も。
その年から更に貰えない金額が増えていきます。

僕は相変わらず図図しくお願いして観覧に足を運びます。
僕のお願いを快く受けてくれるのですが、鬱陶しかったと
思います。
その頃、既にもらえるはずのファイトマネーを大分踏み倒されて
いて、腐りかけていました。
僕は、練習場所も生活する金もないメインイベンターでした。
そんなことは口に出来ません。
でも、1流の空気を吸うと、迷っている自分も吸い上げてもらえる
気がするということは当時、云ったことがあります。
自分自身が腐っていない気がして嬉しかったのです。
自分も頑張ろうと刺激をその度に受けていました。

分かりづらい例えでしょうが、理解出来ないのであればどうにか
理解してください。
1流の方は、空気が違うのです。
分かりやすく例えやすいのがボクシングです。
あるジムでよい選手が出てくると、続けてよい選手が輩出されます。
そのよい選手がよい空気を作って、それを吸った選手が
続くのです。
でも、どこかで途切れると、そのジムから次が中中出ることは
ありません。

なので、そこに図図しく割り込みました。
気持ちだけでも持っていたかったのです。

しかし、現実は甘くありません。
戦績も振るわず、マスコミも遠ざかり、キックボクサーとして
落ちぶれていきます。
色んな方が離れていきました。
そういう意図ではない方もいるでしょう。
文字通り、でも離れていくのです。

誰が、とかはどうでもいいのです。

関係ないのかもしれませんが、松本さんとも連絡が取れなくなりました。
だらしない選手だからいけないのです。
3年程の時をかけて、ようやく「ざまぁみろ!」出版に至ります。

読んでもらえたら嬉しいけれど、届くことはないだろう。
そう思ったのですが、でも気持ち込めて送ります。


そこから20数年の時を経ます。

その前に一度、36年程前に遡ります。
15・6歳の頃になります。

リングネームは各自の自由ではありますが、長いこと
ふざけた自己陶酔のリングネームをよく、目に耳にします。
学園祭の域を出ないそんなリングネーム、見ていて恥ずかしく
なります。


「リングネームつけようかな。」


十代半ばでデビューする頃、面白半分で父に云いました。
タイではリングネームだったので、なので、日本でもどうかと
考えたのは事実です。

「相手選手のことをちゃんと考えてつけろよ。」
父は云いました。
「敗けた選手が恥ずかしくなるような名前はつけるなよ。
試合前に相手選手が応援に来るその仲間に馬鹿にされないような
名前をちゃんと考えろよ。」


そして、父は続けました。
冗談半分で吐いた軽軽しい失言に恥ずかしくなったことを
今も覚えています。
学園祭の様なリングネーム、プロならばやめるべきだと思いますし、
考えてつけるべきと思います。
まず、逆の立場で考えるべきと思うのです。

前戦といい、またか。
選手生活終盤を軽軽しいものにされるのが不快でした。
本名なのかもしれませんが。

相手の名前どうこうなんてどうでもいい。
試合出来るだけありがたいと思え。
この歳まで続けて、いい結果も残せていない癖に。

自らを窘めて、承諾することにしました。


自分の目的だけ考えればいい。
場所や対戦相手のことをいうのは贅沢な立場だという
ことを弁えろ。
そんな具合に気持ちを切り替えました。


その頃、1件のメールが届きました。
クレイジージャーニーからの取材の依頼でした。

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相手の名前が松本さんと同じだから取材を受けたみたいに思われるのが
嫌で、試合を断ろうか考えました。
もしくは取材そのものを断ろうか考えました。
松本さんの番組に自分が出ていいのかも悩んだからです。

試合そのものを断ったら、もしくは相手が変わったら
取材そのものもなくなってしまうかもしれないけれど、
でも、やはり試合を断ろうか、などと考えました。

少し考えて、受けることにしました。
相手を選べる身分じゃないだろう。
何、恰好つけて相手を替えようとしてんだよ。
自分自身にそう思ったため、受けることにしました。

一度考えましたが、返信しました。
もしかしたら、それは局の方の意向で、松本さんが不快に
思われると嫌だったので、その旨質問したのです。
松本さんの方から僕の名前が出たというので、なので、
断る理由がなくなりました。
なので受けることにしました。
名前が重なって嫌でしたが。

沢山ではありませんが、これまで幾度か試合前のドキュメントを
撮っていただいたことがあります。
1回ジムに着ただけのものもあり、数回着てくれたものもあり、
なので、密着といいつつも、でも、他にも仕事をいくつも
抱えているでしょうからそうなるのは当然と思います。


でも最近は、最近といっても結構前ですが、僕にとっては最近の
ことのように感じるので「最近」で綴りますが、息子のデビュー当時
NHKの「サンデースポーツ」もそうでしたが気持ち入れて
取材してくれて受けながら嬉しくなること度度です。
自転車を買って、ロードワークを伴走してくれたりしました。

でも、今回はどうなのだろう。
ゴールデンタイムに移ってからの番組を見たことがなかったので、
ふと考えました。
どんな感じで撮影されて、どんな頻度でジムに見えるのか、
減量中の自分の姿はあまり見られたくないので、やはり考えました。

毎日来るといいます。

すぐ近くのマンションを借りて、毎日朝からやって来るようになります。
自転車まで購入して、ロードワークにも基本2本伴走してくれました。
長い距離も勿論、友人の墓参りやスカイツリーまでの糞走りも
ついてきました。

落ちぶれた自分程度の選手には勿体ないようなそれでした。

先週、23日にスタジオ収録を行いました。
20数年ぶりに会う松本さんは今の僕を見てどう思うのかの前に、
やはり自分が出て不快感を与えないかが心配でした。
生意気な態度を取ったりしてしまったのかもしれません。
なので、申し訳ない気持ちで一杯でした。


話が上手くないので、つまらない人間だと思われたかもしれません。
どんなことも一期一会の気持ちで臨んでいます。
ですが、終えてから反省ばかりしています。
身の程知らずということは自覚していましたが。
もう次はない気もしています。
なので、反省ばかりしています。


終えて、今回のスタッフさんらと食事しました。
プロデューサーとディレクターの方ともう1人の方と僕の
4名、最初にジムで顔合わせた面子です。


「今日、プロデューサー着ます。」


自宅取材の日の練習終わりかけ、始めて耳にする方の肩書に僕は
吃驚して、そんな偉い方がわざわざ着てくれることに軽く驚きました。
ジムでやることやりながらジム内にいた番組スタッフの
方に、この後の流れを訊かれたので説明します。

「この後、プロデューサーが見えるそうで、」
ジム内にいた番組スタッフに伝えました。
「それ、僕です。」
吃驚しました。
その方は何回かジムで顔を合わせていて、これまでそういう方が
着たことがなかったので、分かりませんでした。
申し訳なく思いながら、いただいた名刺をちゃんと確認しなかった
自分を恥じます。

本日、ようやく告知が開始され始めたのでジムを休んだりの
理由を理解していただけます。
1ヶ月以上、毎日取材してくれたもの、どれだけ流れるか
楽しみにしています。
不安の方が大きいですが。
出演者の方方に迷惑をかけるような言動や所作がないことを
祈ります。

放送内容のことや収録日のことなどはまた、日を改めて。