尻取り日記「い」いじめ

北海道旭川での事件の報道を目にします。
いじめはなくならないものです。
もし、自分が今時の子供なら生きていないと
思います。

加害者には将来もあるでしょう。
でも、まず奪った被害者の将来を返すことが出来て、
そこからマイナス・リスタートなら少しは理解します。


僕だけではありません。
そういう位置付けにされる子はいなくなることはありません。

いじめをなくすというのは前向きな自分を見せた好感度
求める大人の損得勘定にしか思えません。

このような出来事がある度、思います。

神様、あんた不公平だ。
反省してくれ。

中途半端な奴らへ

あってもなかったことにしてしまう、
それがいじめ。
そこに存在してもないものにしてしまう、
それがいじめ。
教師はみんな
「うちのクラスにはいじめはなかった」
嘘つけ馬鹿野郎。
見えない振りをしていただけだろ?
拘わりたくないだけなんだろ?
いじめとは、この世から絶対になくならない
ものだ。
肝心なのは自分がいじめられないために
どうするかってこと。
加害者はみんな、罪を感じても覚えてもいない。
被害者はやられ損。
そこでネガティブに考えてしまうと、辛い自分を
どんどん追い詰めてしまう。
その逆境をポジティブに考えて、自分はどうしたら
いじめられないかを考える。
そして自分に自信が持てる何かを始めること。
僕は強くなりたかった。
みんなに羨ましいと思われる強さ、収入、知名度が
欲しかった。
だから、キックボクシングを始めた。
その3つを得て僕を見下した全ての奴に
「ざまぁみろ!」
そう云いたくて頑張ってきた。
中途半端になりかけている奴、いじめられている奴、
他の奴らにはない自分だけの武器(才能)が
あるはずだ。
躊躇しないで今、前に出よう。
もう後ろなんてないだろう?

頑張れ。


      元中途半端な奴代表   立嶋篤史




20年前に出版した最初の自伝の表紙裏に
直筆で記しました。
本全体の記述そのもの下手糞な文章で恥ずかしいですが、
どうしても直筆でメッセージを添えたくて
無理いってやらせてもらいました。 

小・中学生が自殺したり殺されたりすると悲しくなります。
人を簡単にいじめる子供なんていじめられてその苦しみを
味わえばいい。
そう思います。

自分の居場所が作れなかった子や、仲間外れにされている子や、
やはり似たような立ち位置で苦しい大人たち、我が子が成人したというのに、
やめないで続けている49歳の落ちぶれたキックボクサーが応援してるよ。
転んだら立ち上がればいい。
何回だって応援する。
頑張れ。


息子なんて僕なんて、まだまだですが、教えるということは
教えながら自分が勉強すること、沢山勉強して今も勉強中です。

自分自身幾度も初心に返り、勉強になりました。

子供だけではありません。
大人のいじめの話も小耳に挟むと悲しくなります。

そういう人間が消えてなくなればいいと思うのですが、
神様は不公平です。

どうか、部屋の枕でも殴ってください。
もしくは何かしらを蹴ってください。
ストレスは簡単に人を壊します。
殴ったり蹴ったりすることは一番のストレス発散になります。


いつか、今の自分に「ざまぁみろ! 」。



子供でも大人でも、今が悔しいのならいつかそういって
過去になった今を笑えるよう頑張ってください。

僕自身、いつもそういえるよう思っています。
だから、少しでも頑張りたいと思うのです。